|
>この方は一体何者なんだろう? 怪しいものではありません(w たまたま、船越先生の高弟(私は未確認ですが、遺言に書かれている8人の内の一人 だそうです。)であった久保田先生に習うことができただけです。 他にも先生が教えた人はいたらしいですが、興味を示さなかったようです。 試合には使えない技術ですからね。(学生では若すぎて無理もないか)
久保田先生については、「空手と武術」1985年2月号、4月号5月号、6月号、7月号、 「近代空手」1986年2月号に特集記事が載っています。私も相手役として出ています。
昭和10年4月に東京商大(現一橋大学)に入学と同時に船越門下となり、
昭和16年卒業のときに船越氏より3段を授与される。(当時は五段制)
昭和19年陸軍少尉時代、格闘術を部下に教えていた研究成果を船越氏に披露し、4段を授与される。
昭和22年から25年まで中央大学、専修大学空手部を指導。
鹿島神流の国井善弥氏と知遇を得、同流継承の懇望を受けたが辞退する。
昭和26年大坂に転勤。糸東流の摩文仁賢和氏より5段を許される。
昭和27年船越氏を長とする空手指導団員として米軍航空体育指導官らに空手を指導。
日本空手協会の設立を援助。
昭和29年東京体育館で初の紅白試合を公開。このとき紅組の主将として出場。
昭和32年名古屋に転勤。愛知学院大学で指導。
昭和48年空手道世界大会が武道館で開催されるに際し、大会相談役を受ける。
最初に知り合ったときに見せていただいたのは平安初段でした。 空手の先生というのは知っていましたが、演武した型が平安初段だとは気が付きません でした。まるで太極拳のような動きだったので。。。 私 「先生、それは太極拳か何かですか」 先生「空手です」 私 「なんと言う型ですか」 先生「平安初段です」 私 「????。先生の流派はどこですか?」 先生「松涛館流です。船越義珍の直門です」 私 「えぇぇぇえええええっ! 私も松涛館ですがどうしてそんなに違うのですか」 先生「君のは体操です」 私 「どうしてですか」 先生「型が組手に使えますか」 私 「いいえ、役に立ちません」 先生「だから体操なんです」 私 「・・・」 「先生は型を使って組手ができますか」 先生「では、かかってらっしゃい」 私 (本当にいいのかなぁ、だいぶ高齢だけどぉ) バッシ、グェ 「今のは○○の型の手です」 ドスッ、バタッ「今のは△△の型の手です」 「参りましたぁああああああ」(うーイテテテ、どうなっとんじゃ、このじーさん) てな初対面でした。
>改変された型 私も久保田先生に会うまで「型は役にたたない」と思っていました。
古流空手スレでも書きましたが、本土に輸出するときに意図的に改変されているそうです。 以下久保田先生が私に言われた内容です。 船越(富名越)氏らが沖縄から本土に空手を伝えるにあたって沖縄の空手家の間で流派に 関係なく秘密協定があったようです。 空手は大学を中心に発展してきましたが、久保田先生が大学でならった型解釈は今と殆ど 同じでしたが、夜、船越先生のところで教えてくれるものは全く違ったそうです。 なぜ、違うことを教えるのかという問いかけに、 船越先生は「本当は教えてはいけないんだ。」ということを言われたそうです。 要するに、型は使えないようにして本土の人に教えるという秘密協定があったために、 一般で教えるときには使えないように改変したものを教えていたと言うことです。 師は松涛館の道場に掛かっていた「深淵微妙」という額の意味が引っかっていたと 言っていました。
船越氏の古い写真と今の型は随分違いますね。私見では、和道流や糸東流の方が原型に 近いと思います。 松涛館の改変の仕方も動作を大きく見せるのが主であるように思えますので、あながち 使えないものとは思いません。 現在の型も全く使えないのではなく、それを解く鍵(キーワード)があれば復元できる ようになっています。一部は古流空手スレで書きましたが、どこかでまとまったものを 書くつもりです。
ナイハンチの型解釈については、糸東流の摩文仁賢和氏に「久保田さん、ナイハンチの原型 を教えてあげよう」といって習われたそうです。 そのお返しに、松涛館の横蹴り及びその防御を教えたそうです。
平安については近年体育用に作られたとされていますが、師の型に対する解釈は、 平安が最もコンパクトにまとまった空手という認識でした。
確かに平安初段の第一動作(下段払)と第二動作(中段追い突き)が難しい課題です。 多くの場合初心者用として軽視されていると思います。
ナイハンチ初段(鉄騎初段)も最初の結手の動作から分解があります。
>やっぱりな〜! >なんかおかしいと >ず〜っと思ってたんだよな〜!!
私も最初に師より聞いたときには、同じことを思いました。ついでに、 あの苦しい稽古はなんだったんだぁあああああ! 俺の青春を返せぇえええええええ! と心の中で叫びました。
糸洲十訓(唐手心得十ヶ條)には毎日2時間で3年で奥深いところまで到達できると 書かれています。これは私が研究していた武道技術上達論と一致していました。 http://www2.tokai.or.jp/jkka/untiku/itosu_10.htm
先人はちゃんと残しているのでしょう。我々が知らないだけで。。。。
約20年前に構築し、平成5年に初公開したときのレジュメが出てきました。 ただし、内容が一部行方不明(失伝)になってしまいました。 探そうと思い部屋の中をひっくり返していたら、その時の講義のテープが出てきました。(ラッキー
そのテープを初めて聞きましたが、ショックを受けて打ちひしがれています。 話し方が下手すぎ〜〜、良くこんな話し方で講義してたな〜と反省しています。
大学2年のとき、友人が「武道の名人達人の伝記について調べたいので手伝ってくれないか」といってきました。 当時の私は練習するのに忙しくて、「そんなのやってられるかい」といって断ったのですが、 あまりにも熱心に協力を求められたので、資料あつめからやってみました。 その結果、なんとなんと名人達人は免許皆伝まで修行経歴が大体6年前後なのに気がつき、 その練習体系を大学2年から4年までかかって研究した成果です。
中身は基本的に教育論です。別に武道である必要はありません。習い事一般の上達論を研究 しました。内容もぼちぼち書ければと思います。
以下目次です。
武道技術上達理論 目次
1 武道とは何か 1−1 武道と武士道 1−2 武道とスポーツ 1−3 武術と武道 1−4 武道と護身術 1−5 道について 1−6 嘉納治五郎の柔道
2 技術とは何か 2−1 技術の定義 実技講習 上段揚げ受け 2−2 基礎と基本の違い 数学の場合 英語の場合 2-3
感覚から論理へ
3 上達論とは何か 3−1 武道の名人達人について 3−2 なぜ強くなれないのか 3−3 上達の目的 3−4 無心の構造 3−5 量質転換の法則 3−6 上達の構造 第一段階 3−7 上達の構造 第二段階 3−8 上達の構造 第三段階
4 実技
5 実験報告
|