第三章 上達論とは何か

 

3-1 武道の名人達人について

3-2 なぜ強くなれないのか 

3−3 上達の目的

3−4 無心の構造

3−5 量質転換の法則

3−6上達の構造 第一段階

3−7 上達の構造 第二段階

3−8 上達の構造 第三段階 

3−9 弁証法とは

 

第3章 上達論とは何か

3-1 武道の名人達人について
嘉納治五郎 18歳で入門、23歳で講道館を開く
西郷四郎  17歳で入門、21歳で全日本制覇
(この他にもいくつも例をあげたいのですが、
既に手元の資料が無くなっており申しわけありません。)
過去の名人達人の資料を集めてみると、
意外にも平均すると5〜6年くらいでその流派の免許皆伝という例が多いことに気がつきました。
私の研究はこの疑問から出発しました。(なぜ自分は名人達人ではないんだぁあああ!)

人生50年といわれた昔には、
20年〜30年やらなければ完成しない武術では役に立たないでしょう。
仮に30年かかると仮定すれば、修得するのに30年、後継者を作るのに30年では
「お前は既に死んでいる!」ということになります。

それでは進歩発展を見込めないばかりか、技術が失伝する可能性すらあります。
生涯続けるということと、その流派の技術体系を一通り身に付けるのとは意味が違います。

I:ソカシさん
そうですよね!今と違って必要・必然だった
武道が習得に20〜30年もかかっては意味が
無いですよね!
「虎が襲い掛かって来た時、強く為るまで待って
くれと言って待ってくれるだろうか・・・」<男組から引用!

I:二足の草鞋さん
 
桧垣先生

>仮に30年かかると仮定すれば、修得するのに30年、
後継者を作るのに30年では「お>前は既に死んでいる!」ということになります。

おっしゃるとおりです。
現代でも自分のことで考えてみると、今から30年かかるとすれば、
習得した時は既に70歳過ぎ……
死んでいないとしても「お前には遅すぎる」ということになってしまいますよね。

I:代表
>桧垣先生
いや〜まさか「北斗の拳」ネタが出るとは思いもしませんでした@@
考えてみれば・・・
武道全般、何十年もわけわからず稽古し、
最後に自得するとか極意を得るというイメージが、あまりに強いですよね。
実は逆で最初に極意(術)を教えてそこに向かって稽古させる・・・
実用化は比較にならないほど早く、30年やったとしたら到達点もはるかに高くなりますね@@
このようにご説明いただくと、いとも当然のことのように思われますが、
いかにそういった固定観念が強いかということですね。

I:講師
代表様
以前、糸洲十訓にも「毎日1〜2時間で3〜4年で奥まで到達するものが出てくる」と
書いて有りましたネ。

I;凱さん
空海の言う(・・すみません、また宗教ネタで・・)“真理の側(退蔵界)からの視点”
と“真理を得ようとする側(金剛界)の視点”その両方を持つ事、
そしてそれぞれをリンクさせながら修行を行う事が“悟り”への最良の方法
・・・と言う意味の言葉がありました・・。

件の書籍にも掲載されていましたが、南郷継正先生の優れたところは、
修行に於いて明確な回数設定をした事!・・だと書かれてました。
2万回だそうです・・大体3〜5年くらいでしょうか?

鷹ノ巣さん
 一刻も早く強くなりたい!
・・・です。

南ク師範の本、意外に読んでる人おられるんですね。
会員でも難しくて(途中に師範作詞の歌も出てくるし^^)敬遠する人が多いのに・・・。
一応自分はクラブの幹部だったので・・・一般会員よりは読んでると思います^^;

締めは蒼天の拳ネタで・・・
「空手の文句は俺に言え!」

押忍

最上部



このような実験データが身近にあれば、生徒さんたちも
励みになりますネ。

代表様にお願いがあります。実験ついでに、
1:片手だけで上段揚受け(カウンターではない受けだけ)
2:両手で上段揚受け(カウンターは打たない)
3:本来の上段揚受け(カウンターパ〜ンチ)
を別々に生徒さんにやってもらってください。
それぞれのケースの感想を全員に聞いてください。
その実験報告を来週の稽古日の後にお願いします。

>作用と反作用・・物理学の領域にも入って来ましたね!・・楽しみです!!!

これって別の表現では、天国と地獄・・・宗教の領域かなぁ?

>この「上段揚げ受け」の稽古で、すごいと思われることは、
>一つは、いろいろな所で言われている「型は組手に使えるか?」ということに、
>「使える」と言えることですね。

そうです! 平安の型の中に極意とでも言うべき技術がまだまだ溶け込んでいます。
糸洲翁は、平安の型を作り終えた後に糸洲十訓を表しています。
きっと「わっかるかなぁ〜わっかんね〜だろ〜なぁ〜」なんて思ってニヤニヤ
していたのではないでしょうか。

>そして、何より、自分自身が型の稽古をする時の迷いが吹っ切れたことが
>一番大きな意義でしょうか。

それはすばらしい!!
勉強でも、イヤイヤやるのと楽しんでやるのでは効果が全然ちがいますよネ。
あっ、釈迦に説法か・・・(^^;

>3.型の出来具合で技量が決まる
>この言葉に表れていますよね。
>組手で上手くいかなければ、型に戻る。そして、また組手で試す。
>技術上達のためのシステムが自然とできあがっていくという点に、
>すばらしさを感じます。

弁証法的には「相互浸透」といいます。
もっと簡素な言い方では「善循環」ということでしょう。

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3-2 なぜ強くなれないのか

多くの方が努力の割に効果がなく、悩んでおられると思います。
悩みの内容を分類すると
1:時間を掛けないとだめなのか。20年から30年やらなければ技術は身につかないのか。
2:ウエイトトレーニングをしないといけないのか。
3:秘伝や極意を習っていないのか。
4:才能がないのか。
ということでしょうか。

今まで講義を読まれてきた方は、だんだん解ってきていると思います。
間違った技術では、時間をかけても使えるようにはなりません。
才能があったとしても、間違った技術では難しいでしょう。
これは上段揚受けの例でお解りいただけたと思います。

間違った技術では、反対に弱くなる(上達しない)可能性があります。
組手は組手の練習、型は型の練習と別々にやっていたら時間は倍かかることになります。
もっと割り切って、自分は組手の選手だから型は殆どやらないというような現象が出て
きているようです。
糸偏に冬と書いて「終わり」ですが、糸偏に春とかいても「始まり」とは読みません。
そのような漢字はないのです。
間違った字ではコミュニケーションを取ることができないのと同じように、
間違った技(型の解釈)や間違った練習では上達は不可能だと思います。
それこそ体の大きい人や才能のある人しか強くなれないでしょう。

ウエイトトレーニングについては、筋力はあるに越したことがないのですが、
現在ある筋力も充分に使えていない人が殆どのようです。
私はウエイトよりも、筋力や体を効果的に使うやり方に重点をおくべきだと考えています。
ウエイトをいくらやっても発勁のような技術は身につかないでしょう。

これまでは、技術を中心に話をしてきましたが、練習する順番も重要なファクターです。
この章では上達の過程をこれから講義していきます。

I:のぶさん
桧垣先生>

続きを楽しみにしております。^^

I:ソカシさん
 
桧垣先生>間違った技術・・・本当に怖いですよね!
     自分も前、身を持って体験しました。
     間違った技術で稽古すると「これ、使えんべや!」
     「投げたほうがいいべ♪」とドンドン不自然な事を
     やらかしてました!上達の過程>ワクワクで続きを
     楽しみにしています♪

I:代表
全くですね。空手に限らず多くの分野での、これが現状と思います。
よく上達の構造がピラミッドに例えられますが、
基盤に置くべき術の部分をなぜか殆ど見えない頂上に置くことにして、
盲目的に技を積み重ねることを基盤と勘違いして(させて)いる。
それがために何度も基盤が崩れたり迷走して
いつまでたってもピラミッドはできないのに、
最悪そのことにすら気付か(させ)ないということですね。

I:凱さん
 
桧垣先生>
>現在ある筋力も充分に使えていない人が殆どのようです。
>私はウエイトよりも、筋力や体を効果的に使うやり方に重点をおくべきだと考えています
僕自身ウエイトトレーニングをやって、また指導する現場にいますが、今まさにそれを実感しています!!
筋力のみに頼った稽古や技術を良しとしていると、加齢で筋力低下の現実に直面した時に、
間違い無く「絶望感」を味わう事になりますし、筋力が有ってもそれを生かしきれていない人が殆どです。
「体重」と言う持って生まれた"力の源"を生かせれば、特別ウエイトは余り必要は無いのかも知れません
・・試合を目的とするのなら別ですが、生涯空手を追求するのなら若年時には若年の、
老齢時には老齢の身体の使い方に頭を切り替えるべきだとも感じてます!!

続きを楽しみにしています!!

I:講師
>「体重」と言う持って生まれた"力の源"を生かせれば、特別ウエイトは余り必要は無いのかも知れません
・・試合を目的とするのなら別ですが、生涯空手を追求するのなら若年時には若年の、
老齢時には老齢の身体の使い方に頭を切り替えるべきだとも感じてます!!

おぉぉぉっ、ビンゴ〜。正にその通りですネ(^o^
その方法も型の中に溶け込んでいますョ。

I:二足の草鞋さん
>桧垣先生
日本の教育は「釣った魚は与えるが、釣り方は教えない」といわれています。
まして、「釣った魚」だと見せてもらったものまで偽物であれば、
上達のしようがないわけですね。
今は、桧垣先生のお陰で、「釣る魚の姿」がはっきり見えてきたわけですから、
「いかに釣るか」になってくるのですね。
>これまでは、技術を中心に話をしてきましたが、練習する順番も重要なファクターです。
今、サッカーを指導していて、ドリブルやリフティングやキックなどの技術の大切さもよく分かっていますが、
それよりも、「サッカーとは何か?」を理解し、
それに一番直結する技術や戦術から習得していくことが大切だと感じています。

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3-3 上達の目的
上達の目的とは何でしょうか。
簡単に表現すれば、技が自由自在に使えることです。
相手の攻撃に「無心」に体が反応するまで技を訓練することです。
どのようにしたら技が自由自在に使えるようになるのか。 ⇒ 上達論

3-4 無心の構造
無心というと名人達人の境地のようなイメージを抱く方が多いと思います。
よく初心者に向って「無心でやれ!」と言っている指導者がたまにいるようですが、
本当に初心者が無心に技を繰り出せるのでしょうか。
そもそも無心とはどのような状態を指すのでしょうか。
この項は南郷理論が最も得意な分野であると思います。
初心者の何も考えていない状態の無心と、名人達人の技が自在に使える無心とは内容が
異なるということです。

初心者と名人達人の間には修行過程の人がいます。
この修行者は技を意識的(有心)に練習をしなければなりません。
例をあげれば、赤ちゃんが歩くときは一歩一歩意識的に歩いています。
しかし我々大人は歩くときに一歩一歩意識してはいません。歩くことに関しては無心の
レベルにあるのです。
箸を使ってご飯を食べるときも、箸の使い方について意識をしないで食べられます。
しかし、箸を使ったことがない子供や外国人は、箸を使うときに意識的に行わなければ
なりません。
要するに、無心とは言葉を変えれば日常化ということになります。

無心  → 有心  → 無心
初心者   修行者   名人
               意識的   日常化

ということは、同じ動作を数練習することが最も無心になる近道なのです。
試合等に出ると最も使える技は、最も多く練習した技であることがわかります。

 

I:代表
私も南郷師範の著書で呼んだ記憶があります。
そして・・・左手での箸使い・落ちている物を足指で拾う
・ドアノブを足指で掴んで廻すなどなどやりました
・・・左箸はいまいちですが、足指は今でも結構使えてます。
正しい意識の有無で効率は著しく差が出るとしても、
やはり絶対的に数稽古は必要なわけですね。
まさかそんな人は居ないと思いますが、
ここまで斜め読みでROMっていて
『要領掴めば楽して上達できる?』と勘違いしていたとしたら、
ここで絶望感に打ちひしがれる場面ですね。
 
しかし・・・実際に稽古が『楽しく』なった事は間違いないですね。
それに・・・相対的に見た場合、五里霧中でもがくより
確実に『楽に』かつ急速に上達することにはなりますね。
もっとも私の場合だと、稽古量自体は増えこそすれ、
減る余地は今後も全く無いです。

I:二足の草鞋さん
サッカーでも、「意識しないとできない」から「意識しなくてもできる」へということをよく言います。
これが「意識的→日常化」だったわけですね。

>ということは、同じ動作を数練習することが最も無心になる近道なのです
私が見ているチームには、高校からサッカーを始める者もいるのですが、
高校3年間のうちに、上手い選手のいる強いチームとも何とか戦えるようにするために、
次のようなことを考えて、練習のメニューを作ります。
1.重要度の高い技術を精選する。
2.重要な技術ほど早い段階から練習させる。
3.その技術を使わなければならい場面が沢山ある練習をさせる。
4.その技術の難易度を段階的に上げていく。
このような形で数をこなせるよう練習を考えるようにしています。

I:凱さん
数をこなして「無意識領域に刻む」のですから、常日頃やるべき練習は、
自ずと「本当に使える動き」じゃ無くてはいけないわけですね?
逆に言えば使えない動きを「無意識」にやってしまう危険性もあるって事ですよね?
試合ならいざしらず、もし生死を分ける場面だったら・・・心が引き締まります・・・。
更に相手の無意識の動きまでコントロール出来れば、
(誘い、フェイント)技の使い勝手は良くなりますね!
 

I:講師
>逆に言えば使えない動きを「無意識」にやってしまう危険性もあるって事ですよね?

地獄への道は善意で敷き詰められている!

I:鷹ノ巣さん
>箸の使い方
一生懸命意識的に箸を使おうとしている人間に菜箸を渡すと、
とてもじゃないが使いこなせないと思いますが、
無意識レベルで箸を使いこなせる人間に菜箸を渡せば
そんなに意識を込めなくても使いこなせると思います。
このことから、意識的に創り一旦無意識レベルまで高めた技は
多くの応用にも耐えうる技となる!
・・・って言うのは結構無理矢理な論理のこじつけでしょうか^^

後、無意識レベルの箸の使い方にも熟練度があり、
いきなり菜箸を使いこなせる人間もいれば
少し練習すれば使いこなせるようになる人間もいると思います。
このことから無心にもレベルがあり、無心=有心であることが
自分でも気付かない位の有心であり、
そのレベルが限りなく0に近づいた技が達人の技であると思います。
そして達人と呼ばれる人とは歩き方、話し方、立ち方、顔つき、
全ての立ち居振る舞いを意識的に武道化し、
全てが達人の無心になった人間が達人と呼ばれ、
そこに人格が加われば名人になるのではないかと思います。

I:代表
>桧垣源之助先生・凱様
一瞬ぎくっとしました^^;
そう考えると型の稽古など、何時間あっても足りないですよね。
自分の動きを全てに渡ってチェックしつつ応用変化まで含めると、
昔の人がせいぜい数種の型しか知らなかったのは、理の当然ですね・・・
ナイハンチと平安5つだけで、
『ありゃ〜死ぬまでに間に合わんわ・・・』
と思う今日この頃です。

I:凱さん
空手や武道に関しては「広く浅く」より、真理を追求・身に染み込ませる為には、
断然「数種深層」に結果としてなるのでしょうね。
またまた例の書籍の話題なんですが、「型」とは自分の技術の“基準点”なのだそうです。
そしてやり込めばやり込むほど実際の動きとの“数m”のズレすら気が付く事が出来、
修正も容易にしてくれる“ガイドライン”の役割も果たすのだそうです。
そして昔の達人や名人と呼ばれる人達は、その“基準”となる型に常に立ち返り、
自分の技を見直す事をしていたとも・・・。
 

最上部

I:講師
今日仕事で出張した場所が、大学時代の友人の家が近くだったので10数年ぶりに彼の家を訪ねた。
驚いたことに7年前に病気で亡くなったとのこと・・・ガーン! 知らなかった。

彼はベンチプレスで130キロをあげ、空手の他に少林寺拳法と柔術をこなすマッチョマンであった。
私とは良く気が合い、技術の向上の為にあらゆる練習を一緒にした仲だった。

武器術では自転車?が得意で、バットで殴りかかってきた相手に対し傍にあった自転車で対抗していた。
二人で歩いていてアンちゃん達数人と喧嘩となったときも、私が準備体操をしている間に、
アンちゃん達は壁や道路と鉢合わせしていた・・・

発勁の練習をしているとき、彼が空突きを壁に向ってした途端にその場に倒れてしまった。
「どうした?」と聞いたら「発勁が跳ね返ってきた!」「なに〜」
要するに、発勁で発した気エネルギーが壁に当たって跳ね返って友人自身を直撃したのだ。
彼のオデコが赤く腫れていたのをよく覚えている。

とても病気で亡くなるような奴ではなかったが・・・黙祷。

I:代表
>桧垣源之助先生
なんと・・・それはお力落しですね・・・
そういう方に限って早世されるのはなぜなんでしょうか?
船越義豪先生しかり有明省吾しかり・・・
私も黙祷させていただきます。
しかしその凄まじい発ケイは・・・
これも空手の技術なのでしょうか?

I:講師
>私も黙祷させていただきます。

ありがとうございます。
彼は術のレベルに関して良きパートナーでした。

>しかしその凄まじい発ケイは・・・
>これも空手の技術なのでしょうか?

彼の発勁の技術の正体は、気功と力抜きと丹田力によってできていました。
純粋に空手の技術ではありません。
当時は型についての研究ができていませんでしたので借り物です。
しかし、気エネルギーの恐ろしく強い奴でした。

空手にも発勁に相当する技術はあります。
最も私自身は中国武術をしたことがありませんので違うものかもしれませんが、
発勁による打撃を受けたことはあります。
最初に受けたときは3mくらい飛ばされました。(ひえ〜)

発勁に相当する言葉としては当破という言葉があるようです。
久保田先生は当破という言葉は使いませんでしたが「発勁みたいなのは空手にもあるよ」
といって見せてくれたことがあります。
発勁に相当する技術も型の中に既に溶けています。

I:二足の草鞋さん
私は、まだ友人の死に出会っておりませんが、
高校時代の恩師(担任とクラブの先生)は、今の私と同じくらいの年齢で亡くなっています。
生きていらっしゃれば、私などよりももっと、活躍された方々だったと思います。
私も黙祷させていただきます。

>発勁に相当する言葉としては当破という言葉があるようです
やはり、そうでしたか。確か、宇城先生の本の中にも出ていた言葉ですよね。

Q:凱さん
突然の訃報に、つい書き込みを渋ってしまいました。申し訳ございません<(_ _)>

発勁はとても興味があります、中国武術のみに存在する技法だと思っていたのですが、
空手にもそれに相当する技術があったなんて、初耳ですし驚きです!

僕が仕入れた情報ですと、肩と肩甲骨の動きにその秘密は有ると聞いているのですが、
やはりそうなのでしょうか?(それは寸勁でしょうか?)
因みにB・リーは有名なワンインチパンチ(寸勁?)の時は、
小指側の拳頭を使って当てていたとも聞きました。
いずれにしてもそそられます!

A:講師
>発勁はとても興味があります、中国武術のみに存在する技法だと思っていたのですが、
空手にもそれに相当する技術があったなんて、初耳ですし驚きです!

極真の松井館長は寸勁で瓦を割るじゃないですか! 灯台元暗しですね。

I:凱さん
>極真の松井館長は寸勁で瓦を割るじゃないですか! 灯台元暗しですね。
うう・・なんと言いますか、初めてあの技を見た時に実は“違和感”を覚えた事があります。
と言いますのも、それまで十数年間極真をやってきて、
道場や書籍、いろんな極真に関するメディアでも、
寸勁の“す”の字すら見た事も聞いた事も無く、
また教わったわけでも“実は”・・何て言われた事も無く・・
それが総裁御逝去後、突然振って湧いたように披露され
“え?何・・あんなの有ったなんて聞いてないよ〜”状態でした・・。
同時期に“意拳”との交流も活発になってましたので、
その影響で覚えた技なのだと思っており、
空手にもあったとは正直知りませんでした・・。
今となっては無知な自分が恥ずかしいです(* v v)。

I:ソカシさん
自分はまだ拳友を無くしてないので桧垣源之助先生の心の痛み、
計り知れないものがあると思います・・・;;合掌・・・;;

発勁、寸勁、蓄勁は三戦、転掌に含まれてると本で読んだ事を
思い出しました。無意識に発勁を使ってるという記述を思い出し
前の講義の技・術を思い出して唸りました・・・!

I:芦原会館門下生さん
そうですか、お気持ち察します。
良い方ほど早く御逝去なさるのか・・・。ある意味神様は残酷です。

大切な人の「死」や、自分自身が大病をわずらわないと
「生きている」事のありがたさを実感できないのが凡人の悲しさです。
では自分は?・・・・憎まれっ子世にはばかる????? この命、大切にせねば・・・

・・こういう事考えると組手でムチャな攻撃できなくなりますよね。
代表様の「思ひ出」の中の真樹師範の「お前達にも親がいると思うと・・
組手でムチャできない」ってセリフの重みが改めてヒシヒシと感じられます。押忍。

I:鷹ノ巣さん
>桧垣源之助様
自分も黙祷させていただきます。

押忍

I:のぶさん
>桧垣源之助先生

お気持ちは計り知れませんが、ご冥福をお祈りさせていただきたいです。

I:講師
>皆様へ
いろいろお気遣いいただき、感謝申し上げます。
この武道技術上達論の中の技術の部分は、その友人との共同研究に負うところが多いのです。
皆様の暖かい心使いに友人も喜んでいると思います。
 

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3−5量質転換の法則

I:講師
さらに意識的に技の練習を続けていくと量質転換の法則により技に術が加味されてきます。
量質転換の法則とは形(技)を反復練習して、その形の効果的な使用方法を体得したとき、
外見上の形は同じでもその技の質が向上することをいいます。
古流武術では一般的に形の稽古から入り、それを反復練習して使えるようにする方法が一般的です。
例:拳(こぶし)を拳(けん)に鍛える。

使えるようになった段階では動きが質的変化をおこし、
その質的変化を一般化して取り出したものが、従来極意と呼ばれてきたものなのです。
古流は長い歴史の中でその実験がくりかえされ、
練習体系の中に形の反復練習とコツである極意(術)を各段階に組みこんできました。

I:のぶさん
 
量質転換の法則>>

な・・・なるほど・・・。
凄いですね。

>その質的変化を一般化して取り出したものが、従来極意と呼ばれてきたものなのです。

納得です。

ポイントを押さえた上で、量の稽古をやることで、極意へと昇華させる。

そういえば、前に聞いた話ですが、
李書文は、自宅から仕事場への道のりを3年間ずっと拳法の基本の突きをしながら通ったとか。

なんだか今回の話と通じるものがあるなと思いました。

また「3年間」というのも合致しているし・・・。

I:凱さん
この事はわりと昔から、極真の稽古中でも言われてました・・でも決定的に違ったのが
『意識的に技の練習・・』と言う部分の様な気がします。
勿論「・・を突く、・・を受ける」等の説明はありましたが、
型の用法とかイメージの説明はほぼ皆無に近かったです。
審査や昇段に向けての順番とか、腕の角度・四肢の位置とか位でしたね・・・使えない訳です・・。

I:代表
正しい認識無く量を積み重ねることは、地獄への一本?道となるわけですね。
平安の型を、初段の上段揚げ受けを突破孔として解いて行くにつれ、
その畏怖すべき全貌が現れるように思います。
それにつけても正しい表演型(楷書)は絶対基準として必要ですね。
それを数稽古して質的変化を起こし、個人に適応した臨闘型
(行書・草書)ができるのだと思いますが、
楷書はいつでも書けないとだめですね^^; 

I:二足の草鞋さん
的はずれかもしれませんが、型の稽古の時に、
「手の極めと足の極めが同時になるように」とか、
「実際に敵の攻撃を受けたり、敵を攻撃するように力強く」とか、
「技から技の途中が大切だ」と注意されるのですが、
今までは、これらの注意を同時に満たすことなどできませんでした。
ところが、「上段揚げ受け」を桧垣先生に教わったとおりにやると、
これらの注意をすべて満たすことができます。
この型稽古での注意が正しいものであるとすると、
それができるようになるということは、
質的に変化しつつあると考えてよいのでしょうか?

I:代表
>「手の極めと足の極めが同時になるように」とか、
「実際に敵の攻撃を受けたり、敵を攻撃するように力強く」とか、
「技から技の途中が大切だ」
これらってすごく大事なことですけど、
そういう言葉自体がどんどん失われつつあるような気がします。
私は、正しい<術>に基づいた上段揚げ受けが、<技>を正しく整えた・・・
というように思いますがどうでしょうか? 

最上部

I:講師
本日、日本武道館にて全日本合気道大会(合気会)があり、来賓として招かれました。
全国から集まった方達の演武を拝見させていただきました。
さすがに高段者の演武はすばらしいものでした。まず、姿勢が全く違うのです。
正座をしただけで序列がはっきりわかるほどでした。
合気道は基本的には形稽古しかしませんが、形だけでもあのようなレベルまでできるのです。

また植芝道主始め、来賓でいらした養神館の井上強一道場長、大東流合気柔術皆伝の近藤師範、
武心道の風間建師範(ブルースリーの友人として知られている)など
高名な先生方と挨拶をさせていただくことができました。

鷹ノ巣さん
 >代表
本日、富山市のBOOKS中田にて内藤武宣氏の空手道シリーズの
「絵説 空手道」なるものを手に入れましたぁぁぁ!!これから平安勉強します。

>のぶ様
おぉ!是非おねがいします!極真空手の型もみてみたいです。
かっこいいチビ助君の技期待してます♪実はのぶ様のHPはちょくちょく覗いてました
が、シャイな自分はなかなか書き込めませんでした。(*・・*)ポッ。

>桧垣源之助様
代表に紹介していただいた本を見ていると大分技が違いますが
平安初段は基本型のTのあたりそうです。
ただ弐段以降はまったく違うように思います。
自分は流派の特殊性だけがクローズアップされてしまっている時期に入ったように思うので、
一度空手一般から学んでみようと思います。
>和道流が主流
自分が聞いている話だと元がS大空手部で、そこの先生が松涛流だったのが
刃傷沙汰?により新しい先生→玄制流の方となったがその後もイザコザで
その先生が出て行くこととなり、当時のS大主将の師範率いる流派となったそうです。
しかし自分が入門した時には既に師範は指導の最前線からは退かれていたので、よく判りません。
>例:拳(こぶし)を拳(けん)に鍛える。
これは手の握り方そのものであったもの(拳頭の骨を鍛えるのも含む?)
が反復練習により「けん」に量質転換されるという理解でよろしいでしょうか?

押忍

I:講師
 >自分は流派の特殊性だけがクローズアップされてしまっている時期に入ったように思うので

型の解釈について、武道の科学P253に「約15年もの歳月をかけてこの難関を突破した」
と書いてあります。
玄和会では型についてどのような教えをしているのでしょうか。

>例:拳(こぶし)を拳(けん)に鍛える。
>これは手の握り方そのものであったもの(拳頭の骨を鍛えるのも含む?)
が反復練習により「けん」に量質転換されるという理解でよろしいでしょうか?

そうです。武道の科学P168に書いてあります。

I:hiroさん
 最近忙しくて見れなかったのですが・・・・・メチャクチャ話が進んでるじゃないですか
(驚&涙)。なんか心の中がモガモガしてきました・・・・。

先日、面白い方とスパーしました。
テコンドー→ボクシング→キック→現在はキックのインストラクターという方なんですが・・・・
蹴りもパンチも速くてビックリでした。
出稽古(?)と言う事で、一応極真ルールでのスパーでしたが・・・。

代表様/桧垣様 
ちょっと質問があるのですが・・・。以前 代表様にナイファンチについてお聞きしたことがありました。
代表様のビデオも見させていただきました・・・・・・そこでなんですが
・・・・簡単にで良いので、よろしければナイファンチの型の
それぞれの動作の意味を教えていただけないでしょうか
(受けだとか突きだとか)?
見様見真似でやってみてはいるのですがどうも意味が分かってないのでシックリこないんです。
時間が有りましたらよろしくお願いします。

ちょっと用事(夜なのに)があるので今日はこの辺で・・・・。

I:代表
 
>hiro様
お〜!お久しぶりですね!・・・謝らなくてはなりませんね。
当時見られた私の動画は、上の臨闘型の一種で、スタンダードではありません。
うちでもあれを初心者にやらせたら、全く覚えられませんでした。
それでまずは表演型を憶える事が絶対必要なんですが・・・
10年来やってなかったら、きちんと表演型ができなくなっていてTT)
今、昔のカン?を取り戻すべく稽古中です。
そんなわけで、ご指導の方は桧垣先生宜しくお願い致します<(_ _)>

>鷹ノ巣様
良かったですね^^
その本は松涛館の初期の型のスタイルが出てまして、
手順はほぼその本のとおりに表演型の動画を作成中です。
実は私が最初に習った型は、ほぼその本のスタイルでした♪

I:鷹ノ巣さん
>桧垣源之助先生
会では師範監修の教科書「空手道綱要」の言葉を借りれば、
「型は現象形態としては技の使い方のごとくに存在しているが、
構造的には現実的に設定された敵との設定されない戦いを行う過程である。
だがあくまでもこれらは自らの観念内における敵と現実的な勝負をするという意味であり、
その意味において個々の技は観念的に設定された敵との勝負の中で
対手との絡み合いにおいて決定するのである。以上の構造をもつのが型である。」
と教えられています。
が自分ではよく理解できなかったので他に書いてある
「初心者にとっての型練習とは見事なる技の創出である」
というレベルでしか修行していませんでした。

押忍

I:講師
 
要約すると、「型は技の使い方のようで、実は仮想敵を想定してた
内面的な勝負である。」ということでしょうか。
一般論としてはそう言えるかもしれませんが、実際問題として技の使い方が間違っていれ
ば間違った技術が身につき、南郷師範の言うところの「地獄への道は善意で敷き詰められ
ている」ということにならないでしょうか。
上段揚受けの例で、その辺は理解できると思います。

見事なる技の創出だけであれば、その場での突き蹴りや移動稽古で充分なはずです。
仮想敵を想定してた内面的な勝負であれば、シャドウでよいわけです。
型はあくまで、技の用法と威力の養成であると思います。

最上部

3−6 上達の構造 第一段階 (古流の練習過程)

古流の武術では一般的に形の稽古から入り、それを反復練習して実際に使えるまでにします。
使えるようになった段階では動きが質的変化をおこします。
この過程を歴史的に繰り返すことによって、その流派の技術と練習課程ができてきます。

 技       形      乱取     コツの体得

基本  →  応用  →  変化  →  業(わざ)

乱取りは柔道の専売特許ではなく、古流武術の中にも既にありました。
剣術の場合は、北辰一刀流に代表されるように防具をつけて試合形式の練習がありました。

コツの体得は極意と言い換えてもよいと思います。
この極意を練習過程の各段階に組み込んであります。

この過程を段階的に繰り返すことによって古流の練習体系が成り立っています。

 

 

基本

応用

変化

極意

初伝

中伝

奥伝

秘伝

I:代表
>
上達の構造
・・・実験結果を目の当たりにしているだけに、
たいへん強く実感があります!
初心者が素直に指示通り動いた時にみえる
「これってもしかして達人の動き?」
と思える閃き・・・それを定着させ日常化させるシステムですね!

I:凱さん
 お蔭様を持ちまして、これまでよりも遥かに受け手だけでは無く、
引き手になる方の手にも意識が持てる様になり、
出来ていた“つもり”の受け技が、自分の中で進化している実感が湧いてきています。
こうやって空手の基本と呼ばれる技の一つ一つが、
進化していって出来上がった「自分の型」が待ち遠しいです!

 

3-7 上達の構造 第二段階(柔道本来の練習体系)

柔道を興した嘉納治五郎師範は従来の練習体系では、個人の術の範囲を越えられないとして、新しい時代にあうように護身、体育、精神の面から誰でもが安全に早く上達するように練習方法の開発に乗り出し、畳という防具、柔道原理という理論及び練習体系を整えた。
柔道原理(自然体の理、柔の理、崩しの理)は従来、極意をいわれていたものを、練習の始めに教えるので、誰もが早く上達するようになった。

上達の流れとしては、基礎、基本、応用、変化となります。
前項で極意(コツ)と言われていたものを基本(技)の前にもってきたことが、嘉納治五郎師範の最大の功績だと思います。

基礎を充分に練習しないで、次の段階の基本へ行くと「崩れ」がおきます。要するに上手くいかないのです。同じように基本が充分でないのに次の段階の応用をやっても「崩れ」がおきます。
「崩れ」が起きると技が掛からない為に、「力とスピード」が余計に必要になってきます。
基礎でも無心となるように練習してから、次の段階にあがるべきなのです。

基礎と基本の段階を「技の創出」と呼びます。自分の体の中に武技を作る段階です。
応用と変化の段階を「技の使用」と呼びます。自民の体に身に付けた武技を使う段階です。
作る段階と使う段階を混同すべきではありません。

また、応用までは師より習うことができますが、変化は自得しなければなりません。
形態としてみるならば、基礎と変化は無形です。基本と応用は有形です。
 

→→基礎→→→基本→→→応用→→→変化→→
↑      ↓      ↓      ↓
↑       →→→→崩れ←←←←  
↑   { 技の創出 }      { 技の使用 } 
↑    {      習得     }    { 自得 }
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←





 

 

無形

有形

有形

無形

例:

 

 

 

 

書道

永八法

楷書

行書

草書

柔道

崩し

投技

乱取

書道の場合
書道を例にとれば、書道の基礎とは永八法です。
永八法とは「永」の字を書くときの筆の使い方が八通りあることを言います。
この永の字のパーツがいつでも上手く書けるまで練習をしてから、基本の楷書に移行します。
その後、応用である行書、変化である草書と段階を経ていきます。

柔道の場合
柔道を例にとっても同じです。柔道の基礎は「崩し」です。
相手の体をアンバランスにしてしまえば、次の段階の技が掛かりやすくなります。
いつでも「崩し」ができるように「崩し」だけ練習しなければなりませんが、
現在の柔道の練習体系ではこの「崩し」だけの練習はしません。
形も昇段試験の時に一夜づけでやる場合が多く、練習体系の中には入っていません。
したがって、技術の「崩れ」が起きることになります。
嘉納治五郎師範は理論としては説いたようですが、練習体系として残せなかったようです。

変化から基礎へ
また、変化まで行くと、変化を極めた人は「基礎が大事」だと言います。
三船十段の空気投げが良い例だと思います。
例:三船十段の空気投げ → 足で払ったりや腰に乗せないで、「崩し」だけで投げる技。
しかし、一般人は「基礎」と「基本」が解っていないために「基本」をやる事になります。
要するに「崩れていない」のに「技をかける」→ 技の崩れが起きるという悪循環になって
しまうことが多いのです。

I:代表
ご多忙中ありがとうございます<(_ _)>
これは・・・武道技術論の中核ですね!
この部分(だけではありませんが)をしっかり認識していないと
いくら技だけ憶えても何もならないことが良くわかります。
そう言えば嘉納先生は晩年に『これは私の柔道ではない』
『柔を極めたければ古流をやれ』と言い残しておられますね。
大山総裁も『キミたちの先輩が全日本てやている・・・
叩いても叩いても倒れない・・・あれはもうね・・・空手ちゃないよ!
風のように来て風のように去る!すれちがた瞬間に相手が倒れている!
これが空手たよ!!』とおっしゃっているのをビデオで見ました。
 

I:凱さん
学生時代“柔道部”に在籍していた僕は、昇段審査で初めてこれを見ました。
審査項目の『型』の一つでしたが、なんだこれ??って見てました。
今回“崩しのみ”で投げる技だと聞き、無知の恐怖を知りました。
崩れていないのに技を掛ける・・掛からないから力とスピードが余計に掛かる(頼る)
御講義を聞く度に、もう無いだろうと思っていた目の前の極薄の霞が一枚ずつ剥がされて行きます・・・。

I:講師
空気投げの正式名称は「隅落し」といい、相手を斜め後ろへ投げます。
凱さんの言われているのは、柔道の初段の昇段審査で行われる「投の形」の一本目で
「浮き落し」という技です。この技は、足も払わず、腰にものせずに投げる為空気投げ
の一種といっていいと思います。
「隅落し」とは投げる方向が違い、「浮き落し」は相手を前につんのめらせるように
して投げます。どちらにしても、崩しで投げる技なのです。

形として最初に習うものが、崩しだけで投げる「浮き落し」であることに注目すべき
でしょう。最初に習うにも係わらず、三船十段の空気投げのレベルを要求されているのです。
したがって、乱取りや試合で誰も使えません。(使っていません。)

同じ現象が空手でもあります。
空手の型として、最初に習う平安初段(太極初段)の「下段払い+中段追い突き」は
組手や試合で誰も使っていません。やはり使えない技なのです。

どうして、最初に習う技が誰も使えないのでしょうか。
これらの形を作った人はそう昔の人ではありません。
柔道の嘉納治五郎も空手の糸洲安恒も明治になってこれらの形を作っています。
彼らの意図はどこにあったかが、この技の秘密を解く鍵だと思います。

私の武道技術上達理論を読まれてきた皆様は、もうお気づきだと思いますが、
最初に基礎(術)を身に付けていないとこれらの技は使えないのです。

I:代表
>桧垣源之助先生
浮き落しと下段払い+中段追い突きは同種または同次元の技術ということですね・・・
型から創られた移動稽古も下段払い(構え)+追い突きがだいたいどこでも最初だと思います。
私も『何でこれが最初にあるんだろう?』と一瞬ぐらいは思ったような気がしますが、
すぐに何も考えなくなってただ習慣的に繰り返していました。
昔から『最初に習う事が極意』という言葉が、
特に剣術の世界ではよく言われているように思います。
それを実現可能なものとして捉えて深く検証していれば・・・と今思いましたが、
凡人の悲しさ『極意なんて一生かかっても無理、昔の人はすげぇな〜』
としか考えず、空手の稽古をその言葉で真剣に検証しようとは思いませんでした。
極意=基礎(術)≒コツと認識していれば・・・
今うちの生徒の進歩に、まざまざと極意が実現可能であることが見えてきています。
一日一〜二時間、三〜四年で奥深いところまで行く人も・・・間違いなく出ますね@@; 

Q:鷹ノ巣さん
>桧垣源之助様
ご多忙中にもかかわらず質問にお答えいただき有難う御座いました。

下段払い+追い突き、やってもやっても判りません。
でもますます空手にのめり込みそうです。

押忍
 

A:講師
>下段払い+追い突き、やってもやっても判りません。

私が過去に書いた文章の中にヒントは書いてありますので、最初に戻って
読んでみてください。

I:二足の草鞋さん
今、手元にある内藤武宣著「空手道独習教本」の「下段払い+追い突き」の解説に、
そのままでは使えないと書かれています。
それが、基礎(術)を身に付ければ使えるようになるわけですね。
しかも、その基礎が極意につながっている……。
考えれば考えるほど、基礎(術)の大切さを感じますし、
糸洲安恒・嘉納治五郎両先生の考えの奥深さに改めてすごさを感じます。

 最上部

I:ソカシさん
運足を意識するあまり、受けがおろそかになりました。
精進が足りませぬ〜

I:鷹ノ巣さん
自分は今まで、下段払いで前蹴りを牽制してグッと間合いを詰め
相手を下がらせて追い突きとイメージしていましたが、
これだと「空手に先手なし」からいきなり外れますよねぇ・・・。
むぅぅぅ、武道技術上達論を読み直します!

I:首里手さん
はじめまして。某掲示板の首里手と申します。
桧垣源之助さんを探しに来ましたら「武道上達論」が掲載されていたので、
現在、熟読させて貰ってます。

I:講師
いらっしゃ〜い。歓迎しますよ。
しばらく、どこいってたんですか?

I:首里手さん
桧垣さん(゚д゚)ハケ-ン!
何か、あっちと入れ違いになってしまったようで、すみません。(´o`)

近況ですか?
職場と自宅と道場で99パ−セントの日々を送ってました。(現在も進行中ですが・・・)

桧垣さんの「武道技術上達論」は二〜三日書けて熟読したいと思います。
差し支えなければ、解らない事などカキコしたいと思いますので
どうか、宜しくお願いします。(´o`)

I:二足の草鞋さん
>首里手様
はじめまして。こちらの掲示板にカキコさせていただいている、二足の草鞋と申します。
「古流空手スレ」の桧垣先生と首里手様のお二人がこちらにいらっしゃるなんて感激ですo(^o^)oウキウキ
これからもよろしくお願いいたします。

I:講師
首里手さん、みっけ
どうぞ遠慮なく聞いてください。
武道技術上達論は後1,2回で一応終わる予定です。

I:代表
>首里手様
はじめまして^^
書き込みありがとうございます。
今後とも宜しくお願い致します<(_ _)>

I:凱さん
某提示版でお名前はお見かけしてましたので僕も感激です!
宜しくお願いします!!

I:tamaさん
代表様
 場違いな情報ですが
松井派極真全日本ウエイト制でロシア人チャンピオン誕生です。
地上最強世代としては物凄ーーく複雑な気持ち。

チャンピオンとは?チャンピオンの器とは?
空手のチャンピオンなのだから
当然、平安はできるのだろうなぁぁぁぁああああ!!!
出来なかったら「空手」のチャンピオン剥奪。

I:首里手さん
古流スレでの私のレスは青二才の戯れ言の様なものですので、
先輩諸氏の皆さんに様など付けられると恐縮してしまいます。(´o`)
以降、敬称はご勘弁下さい。

>二足の草鞋さん
はじめまして。
全くもって恐縮です。以降、お気軽にいきましょう。

>桧垣さん
只今「武道技術上達論」熟読、熟考中です。(´o`)
質問は水曜日あたりに。

>代表さん
はじめまして。
私も糸洲先生の系統ですので「糸洲翁レス」には爆笑してしまいました。
時折、お邪魔したいと思いますので、宜しくおねがいします。

>凱さん
始めまして。
HP、拝見させていただきました。
さすが極真というべきでしょうか、素晴らしい体躯の持ち主で羨ましい限りです。
平安初段を見させてもらいましたが、僭越ながら良く練られた型だと感心しました。
どうぞ、宜しくお願いします。

>tamaさん
はじめまして。
よろしくお願いしますです。ハイ。(´o`)

遅レスになってしまいましたが、「武道技術上達論」、熟読、熟考させていただきました。
幾つかの点で私の意見と相違点がありましたが、
これは桧垣さんと私の修行歴や錬磨の度合いの違いからくる相違点だと思います。

I:代表
>相違点
ご流儀に差し支えない範囲で、
できれば教えていただけたらと思います。
我々未完成の修行者には学習の幅が広がると思いますので。

I:首里手さん
>相違点
私の修行歴や錬磨の度合いなど桧垣さんに比べれば(比べる段階で失礼かと思いますが)、
ヨチヨチの段階ですので、相違点もこれが原因かと。

I:講師
>首里手さん
「武道技術上達論」を読んでいただいて、ありがとうございます。
私自身が今だ修行中の身でありますので、ある段階からはあくまで仮説です。
お気づきの点があれば、遠慮なく書き込んでください。

最上部

Q:tamaさん
 
代表様
 型のすばらしさ、奥深さは年を重ねるたびに
その思いを強めるばかりです。が・・・・。
疑問に思うのは「型競技」!
これがあるばかりにカラテの評価がある意味で
変な方向に行ってるような気がします。
「基本競技」「移動稽古」競技は考えられないですよね。
代表様ぁ!如何なものでしょうか。

A:代表
自分は・・・あれはあれでというか・・・
!<評価基準><審判基準>が正しければ大いに意義が見出されるのではないでしょうか?
評価基準は勿論使えるか否か。審判基準は流派によって差はどうしても出るでしょうから、
平安初段なら初段を指定して、全選手に同じ型をやらせれば良いんですよ!
そして<その型の中の技>に限定して、防具装着で投げまで認めたフルコンタクトで、
自由一本組手とか・・・うう〜む構想がまとまりきりませんが・・・ 

I:首里手さん
>凱さん
お言葉に甘えて平安初段から五段を拝見させていただきました。
やはり私のピンアンとは、若干趣が異なりますね。
凱さんが、真剣に平安を錬磨されている事が良く解りました。
「私が同じ平安を稽古しても恐らく凱さん程、錬磨された平安はふれないなあ。」と
不覚にも思ってしまいました。(´o`)

I:凱さん
首里手さん>
過分なるお言葉身に余ります・・もし仰せの様に“練磨”されてる様に見えたのでしたら、
それは間違い無くここのHPの影響だと確信いたします!
それまでは「考えて意識してイメージして」型を行うと言う事はほとんど有りませんでした。
ただ、自分自身やっと「空手の入り口に立てた程」だと思っています、
今後とも共に学び叱咤激励しながら「空手の道」を歩んで行けたらと思います!
宜しくお願いいたします!!

I:講師
上段揚受けも手刀受けも、船越義珍、摩文仁賢和両先師より伝わった久保田師伝です。
これ以外にも平安と鉄騎(ナイハンチ)を中心に、一通り公開する準備を進めています。
ただ公開するだけでなく、使える型の実証をしていきたいと考えています。
古流空手スレでも書きましたが、既に師は亡くなり、兄弟弟子も誰も継承していないので
失伝するよりは公開してしまおうと思っています。
また、この20年間誰かが型の分解を公表するだろうと見守ってきましたが、皆無に等しい
状況です。
私が受け継いだものが全てではありませんが、皆さんの参考になれば幸いです。

代表様の糸洲翁スレは楽しく読ませて頂いています。
ところで、糸洲十訓の第6項に以下の文書があります。

<原文>
唐手表芸は数多く練習し一々手数の旨意を聞き届け
是は如何なる場合に用ふべきかをを確定して練習すべし
且入受はずし取手の法有之是又口伝多し

<訳文>
空手表芸(型)は数多く練習し、一つ一つの手数の意味を聞き届け、
これはいかなる場合に使うベきかを確かめて練習すること。
また入れ、受け、はずし、取り手の法があるが、これは口伝していることが多い。

「型は意味を知り、どのような場合に使うかを確かめてから練習すること」
となっていますが、はたして型の意味を理解して練習している人は・・・

最上部

I:二足の草鞋さん
>桧垣先生
>はたして型の意味を理解して練習している人は・・・
「糸洲十訓」を、糸洲翁の教えのエッセンスとして大切だ、熟読すべしという人は多いですが、
書かれていることをその通りに理解しているか、反省すべきなのですね。
「型の意味」にしても、「型は組み手では使えない」という先入観があって、
「型どおりに組み手で使える」ということを考えようとしていないのですね。
また、「体育」にしても、糸洲翁の時代の社会状況を考えずに、
現代の「体育」の意味で考えて、「平安」の型は、初心者のための基本の型でしかないと思ってしまう。先生が、「武道上達論」の最初で、言葉の定義を注意されたわけです。
先日、道場での稽古の休憩中に、「平安」の型のことを先輩に聞いた時、
「まさか、昇段試験で、やろうっていうんじゃないだろうね。
いくら、得意型といっても、平安の型は、初心者のための型だから。」
と言われてしまいました。推して知るべしです。

I:凱さん
確かに「ルール前提」の組手では、型の動きは反則のオンパレードですね。
最近思うのは、型の用法を紐解いて行くとそのほとんどが、二手三手位で敵を撃破してますね、
と言う事は試合の様に制限時間とかポイントとかの「時間稼ぎ」を考えない、
考えられない“極限の状況”を想定している事が良く解ります。
型を行う際もそれ位の心理状態でやるべきなのでしょうね、きっと・・・。

I:講師
>最近思うのは、型の用法を紐解いて行くとそのほとんどが、二手三手位で敵を撃破してますね

そうですね。
打ち合うという概念は無いと思います。一瞬にして倒すことを目的としています。
もたもたしていると、懐から武器が出てきては困りますよね。
また、仮想的を薩摩示現流とする説もありますから、何よりも速さが必要だったのかもしれません。

>「まさか、昇段試験で、やろうっていうんじゃないだろうね。
いくら、得意型といっても、平安の型は、初心者のための型だから。」

糸洲翁が草葉の陰で泣いて(いや怒っているかも)いると思います。

>型を行う際もそれ位の心理状態でやるべきなのでしょうね、きっと・・・。

糸洲十訓の第8項に以下のように書かれています。

<原文>
唐手練習の時は戦場に出る気勢にて目をいからし肩を下げ体を堅め
又受けたり突きたりする時も現実に敵手を受け
又敵に突当る気勢の見へる様に常々練習すれば
自然と戦場に其妙相現はるものになり克々注意すべき事

<訳文>
空手の練習をする時には戦場に出る気勢にて目をいからし、肩を下げ、体を固め、
また受けたり突いたりする時も現実に敵の攻撃を受け、
敵に突き当てる気勢で常々練習すれば、
自然とその成果が現れるものであるので、くれぐれも注意のこと。

だって(^^

I:凱さん
 はい!それを拝読し、改めてしみじみ〜と語ってみました!!

>仮想的を薩摩示現流とする説もありますから・・
はは〜なるほど、何か妙に現実味を感じてしまう説ですね〜
琉球民族と薩摩藩・・僕の故郷“奄美大島”も琉球系統ですから、
何か合い通じるものが有る様な気がします。

そう言えば、空手の受けの技法はトンファーとかサイとかの武器術でもあった
・・何て話も聞いた事あります・・。

I:二足の草鞋さん
>糸洲翁が草葉の陰で泣いて(いや怒っているかも)いると思います。
はい、先生の仰るとおりだと思います。
が、昇段審査は、バッサイ大と公相君大にしました^^;

 

I:代表
>桧垣源之助先生・二足の草鞋様
さきほどまで当地に停滞していた稲妻と雷鳴が西へと向かっていきました。
不届き者の身に何事もなければよいのですが・・・桑原桑原@@;
しかし、め○ら蛇におじず・豚に真珠・馬の耳に念仏・猫に小判・・・
日本にはこの手のことわざが多いのもわかりますね。
自分がそうならないよう十二分以上の注意と考察が必要ですね・・・
糸洲十訓や当時の資料は本当に一字一句が貴重だと思います。

>凱様
横レスですが、平安の型を、サイとかトンファを振りながらやると、
すごくしっくり来る上に、自分にとっては姿勢や動きの矯正になっているようです。

最上部

3-8 上達の構造 第三段階 (理想の上達過程)

以前、後継者と一般の弟子では修行過程が違うと書きました。
前項までのものを踏まえた上で、最も理想的な上達過程(後継者用)を整理してみます。

嘉納治五郎氏は、基礎である「崩し」を最初に持ってくるというアイデアを見つけ、
なおかつ変化である「乱取り」が安全にできるように畳の導入をしました。
それまでの柔術では土間にゴザを引いてやるような感覚だったようです。
もちろん、応用である形をやるのは当然でした。
しかし、嘉納治五郎氏はそこから先を明確に示してはいません。
今まで上達過程を整理してきましたので、説明の必要は無いと思いますが、以下に示す
通りです。

 

→→基礎→→→基本→→→応用→→→変化→→
↑      ↓      ↓      ↓
↑       →→→→崩れ←←←←  
↑   { 技の創出 }      { 技の使用 } 
↑    {      習得     }    { 自得 }
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←





 

 

基礎

基本

応用

変化

初伝

中伝

奥伝

秘伝

 

該当する武道を分解し、基礎→基本→応用→変化及び初伝、中伝、奥伝、秘伝と並べ替え、
量質転換の法則にしたがって、各段階で無心に出来るようになれば、名人達人は短期間の
内に養成できるはずです。
長い歴史のある古流武術は、単に技術だけでなく上達に関する研究があったに違いありま
せん。またそれは、上記のようなものであったはずです。

3−9 弁証法とは
文中でも書きましたが、学生の時は南郷継正氏の本や「試行」を愛読し、弁証法を身に付
けようと一生懸命でした。しかし、文言が難解であり、たった一行を読むのに何回も読ま
ねばならないことが多々ありました。
これは、外国の文書を翻訳するときの関係代名詞の訳し方に問題があったように思われ
ます。そのような複雑な言い回し方で話すことがステータスのようになってしまい、
物事の本質を解明するという本題の作業をやりにくくしています。
弁証法というと難しいと思う方が大半でしょうが、今までの弁証法は言葉の定義が複雑
で、尚且つ弁証法自体の定義が明確でありませんでした。
弁証法といっても十人十色なのです。

弁証法の目的は「対象とするものを構造的に把握する」ということだと思います。
弁証法を構成する3要素を以下にあげておきます。

1:構造的に独立しているが相互浸透の関係にあること。
2:反転の反転の構造を含んでいること。
3:量質転換の法則を含んでいること。

それぞれの分野の専門家が、これを参考にして後進の育成に専念されることを祈念して、
武道技術上達論の講義を終了いたします。 
この場を提供していただいた究源塾代表様に感謝いたします。ありがとうございました。
また、積極的にBBSに参加していただいた方々に感謝申し上げます。
いつの日か、空手の型の分解と合わせてい一冊の本にまとめたいと考えています。
今から予約OKです。(^^;

I:二足の草鞋さん
>桧垣先生
お疲れ様でした。そして「武道上達論」ありがとうございました。
この年で空手を始め、一時期、あきらめかけていたのですが、
なんとか黒帯をとることができたのも、先生を始め代表様や皆様のお陰です<(_ _)>
また、空手だけではなく、自分の教えている教科やサッカーでも、
マンネリになってしまいそうな教え方をもう一度「上達論」を踏まえて再構築してみようと思います。
先生の本、今から予約しま〜す!!

I:代表
>桧垣源之助先生
誠にありがとうございました<(_ _)>
狂言廻しとして十分な働きができたかどうかもわかりませんのに、
お礼なんてしていただいたらバチがあたります。
この場を提供させていただけたことは光栄であり、
目からうろこが何枚落ちた事かわかりません。
これほど<理解して実用できた>上達論は
近いものすら今までにありませんでした。
また本当に皆様のお陰で
どれだけ自分自身の理解が進んだかわかりません。
先生の本、勿論今から予約させていただきます。
出版される際には、是非自伝・上達論・分解の三部構成にしてください。
お願いしますぅぅぅぅぅうッ!!

I:講師
早速、ご予約ありがとうございますぅ(^^

自伝は・・・やっ・・・ばっ・・・
私のしょ、しょっ、正体がぁああああ!

I:首里手さん
桧垣さんの著書・・・!
是非、購入したいですね。

うちでの上達していく過程・・・。
未だに良く解りません。(゚д゚;)

I:凱さん
私も予約です!!ついでに動画付きにするとか、
もしくは買った人にしかアクセス出来ないアドレス&アクセス制限掛けて
動画&自伝公開するとか・・・!!

今更ですが、初伝〜秘伝の基礎の部分が“変化”の次に来る記号なのがミソですね!
これで終わりな訳では無いですよね?更なるご教授お待ちしています!!

I:代表
せ・先生すると著書もHNいやPNのご予定で・・・
ああ・・・でもそれもまた良いかもしれませんが・・・
う〜んそれでもやはり自伝は書いていただきたいですね〜
というか読みたいです♪
そして総論が終われば次にくるのは各論
かくて水瓶座の時代がはじまると・・・
しかし物凄い過密スケジュールを縫ってご指導いただいている
・・・というかたぶん普通の人間の3倍以上の密度の人生を
お過ごしのように思われてなりません。ご自愛ください<(_ _)>

最上部