投稿の十二

時はそう、1954年(昭和29年)12月22日。
蔵前国技館において『力道山vs木村政彦』の“実力日本一決定戦”と題された
試合が行なわれた。

木村政彦とは、「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と呼ばれた柔道全日本
選手権者。更に、今話題の"グレイシー柔術"の始祖エリオ・グレーシーをバーリ
トゥードで破った男でもある(アームロックで骨折させる)。

力道山とは、得意の”空手チョップ"を武器に外国人レスラーとも戦い連戦連勝、戦
後の憔悴しきった日本人の希望となった歴史に残るプロレスラーである。

さて、この力道山VS木村政彦戦・・・何故有名であるか?

それは、「力道山が名実共に実力日本一になった」からである。

ところが、元々これは「プロレス」試合であり、木村が投げようとすれば力道山が投
げられ、力道山が空手チョップを打てば、それを木村が受け、そして1戦目は引き分
け、2戦目にどちらかが勝てば3戦目にはもう一人が勝つ・・・そうやって興行を盛り
上げようという密約が合ったのだ。

そして木村が投げるときには受身が取りやすく、しかも、見栄えが良いように大きく
投げる。

力道山の空手チョップは本来の空手の「手刀」では無い。
彼の空手チョップは普段のプロレスの試合では手の甲側を相手に微妙に傾けて、パ
チーンという音が出やすいように打っていた。(実際、当時の映像で彼のチョップを
見てみるとまさしくその通りである)

頚動脈を狙って打つのではなく(と言うのも本当に手刀が頚動脈に当たれば子供の
チョップでも失神する可能性がある)、木村はノーガードで胸に当てさせる・・・そ
ういう約束がなされていた。

しかし、実際の試合では力道山がその約束を破り、頚動脈に「手刀」を当てている。

そして力道山のKO勝ち! 

そしてリングサイドでは、拓殖大学での木村の後輩であり、その約束を知っていた大
山倍達7段が怒り狂う。

『そんな馬鹿な判定があるか。これはプロレスじゃない、喧嘩ではないか。喧嘩なら
俺が買ってやる』

『あの野郎、許せん!ぶっ殺してやる!』


『貴様は武士道を心得ていない。貴様のやりかたは武士道を心得ない無残な勝ちを得
た。無残な敗北をさせた。貴様のやり方は、もう武士道とは言えない。故におまえを
殺す!』

それを聞いた周りの人間が必死で止める。そして大山倍達の挑戦を力道山は黙殺。

この風景は空手バカ一代にも載っているらしい。(さだかではない)

この部分と言うのは嘘であり、脚色であり、そもそも大山倍達はその会場にいなかっ
たという意見もあると言う。

しかし・・・・。

これは本当にあった出来事なのだ。


実際、この後も問題は続く。
ここからは、歴史の陰に隠れていることなので「嘘だ」と思う方は思えばよいし、イ
チイチ息巻いたりしないで欲しい。

当時「実力日本一」と呼ばれた大山倍達7段(当時)は、その後も武士道に反した男
を許せずに暫くは息巻いていたらしい。乗り込もうとした時にも周りから止められ
た。

そう言った力道山サイドと木村サイドの確執は続き、とうとう大山倍達と力道山が朝
鮮出身という事もあり、当時の朝鮮系の大物政治家が動き仲裁に入った。

その結果暫くは騒動が落ち着いた。

しかし、一ヶ月ぐらいが過ぎようとしたとき、当時大山倍達が構えて間もない「大山
道場」に力道山ともう一人のカメラマンが現れた。

大山道場の弟子達が力道山の行く手を阻もうとするも、力足りず、結局大山倍達が力
道山の前に立つ事に・・・。

そして、力道山「文句があると言うそうだから、ここまでやってきた。カメラマンも
いるからここで勝負をつけてやる。」

大山「もう話はついたはずだ。汚い勝ち方でのぼせ上がるな。貴様は一生八百長で
食っていけ。いつか必ず天罰が下る。」

力道山「なんだと!このインチキ空手家が!貴様には目に物見せてくれる!」

と言うなり、組み付いてきた。

そこで、大山は右の手刀を力道山の左"胸"付近に叩き付けた。

動きが止まる力道山。

その瞬間に組まれた体を解き放ち、鼻を摘み、そのまま引っ張って力道山の巨体をう
つぶせに倒した。

息が出来ずに苦しみもだえる力道山を尻目に一言呟く。

「私は軽く君の胸を打った、その時点でもう一度死んでいるし、鼻を摘まずに目をつ
ぶせば君はもうプロレスラーではなくなってしまう。頚動脈に打たなくとも、本物の
"空手チョップ"を打てば、人は殺せるんだよ。もっと鍛錬してから日本一を名乗りな
さい。」

その後、道場生総がかりで力道山を持ち上げ外に出し、カメラマンは本来であれば倒
れた大山を撮るつもりだったのだろうが結局力道山が打たれた瞬間の一枚だけをとっ
た後、倒れた力道山を尻目に逃げ帰った。

結局、前出の政治家が再び間に入り、力道山が木村に非公式ながら謝罪をするという
形でこの問題は当事者の中で収まったのである。

何故、非公式であったか・・・・それは、国民意識高揚の旗手であった力道山に汚名
を作らせたくないと言う当時の政治家、経済人の意図があったそうだ。

2002/02/10絶対匿名さん:本物の空手チョップ

*歴史の闇の彼方から。。。大変重い内容のご投稿を頂きました。
私も幾たびか『本当は闘ってたんだ』という噂を聞いたことはありました。
結構ご年配の方からのご投稿と思いますが、歴史の重みを味わって読んでください。


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